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花見に檸檬

執筆:ラボラトリオ研究員  畑野 慶


その花見は、奇妙な持ち物が指定されていた。

檸檬。

直感的に唐揚げが用意されていると思う者は、まず肥満に気を付けねばならない。だが、透明なビニール袋に入った黄色いそれをぶら下げて、満面の笑みでやって来た青年はひどく痩せている。

快晴の休日、彼は後輩と共に先達の家に招かれた。男三人のむさ苦しい花見である。淡い紅一点の桜は、縁側を備えた和風建築の庭で咲き誇っている。ここで集まることになったのは、不要不急の外出を控えるべきという社会情勢に配慮してのことだ。

街に出れば、きな臭いほど人がいない。ウイルス自体よりも、それに関する後ろ向きなニュースで社会は混乱している。暖冬だったせいか、秋から春になり、これから本当の冬がやって来るかのようだ。

三人はもう少し冷静になるべきだと考えながらも、ひっそり集まったわけだ。かつては桜のように美しかった先達の妻は、子どもを連れて実家に帰っていた。


「さて、今日の花見に際して、私は檸檬を持って来るようにお願いした」

先達の言葉を受けて、痩せた青年は言葉通りの物を高く掲げてみせた。人数分の三つである。唐揚げに搾るとしたら無論多すぎる。

「それは、たしかに檸檬だ」

後輩はくすりと笑った。

「しかし、我々は何を志している仲間であるか?」

「文芸復興であります」

「うむ。であるならば、花見に檸檬と聞いてだね、それが何かピンと来なければならぬ」

先達は桜の根本を指差した。後輩は深く頷いた。

「もしかして、桜の樹の下には屍体が埋まっている!・・・ですか?」

今度は先達と後輩が息を合わせて頷いた。

「君たちと声に出して読もうと、そう思ったわけだ」

立ち上がった先達が家の奥から持ってきた一冊は、繰り返し読み込まれた風格を称えている。

それは梶井基次郎の短編集、檸檬である。表題作と並んで有名な、“桜の樹の下には” という小説は、ここに収められている。

「実は予想していた展開である。どちらかが、やらかすだろうとね。二冊あれば十分さ。君たちは代わる代わる読む形でよかろう」

後輩はまたしても深く頷いた。笑いを堪えているような顔つきである。そして、鞄の中から取り出したのは・・・

「米津玄師、Lemonです」

CDだった。これを世間では、お約束の展開と呼ぶ。

「夢ならばどれほど良かったでしょう」

先達は歌詞を引用する粋な返しで、二人を笑わせた。

「でも大丈夫です。今はこれで読めますからね」

後輩の手にはスマートフォンである。


そう、今はインターネット上で無料公開されている。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000074/files/427_19793.html


「便利な時代になったもんだ。私はね、横書きにされると気持ち悪いんだが」

「檸檬はこの上なく素晴らしいと思います。ですが正直、桜のこの短編はいやに気持ち悪いというか、何が美しいのか分からない」

「相変わらずはっきり言うね。まあ、人それぞれさ。今一度読んでみようではないか」

「美しいものを見ると不安になるっていう思いには共感します」

しばらく三人とも黙って桜を眺めた。ふいに吹く風はきらきらと光っている。花弁は儚くも美しく青空に舞っている。不安になるのはウイルスのせいではなかった。

「君たちもそうだろうが、私はウイルスを軽く見ているわけではない。多くの方が亡くなるかもしれない。社会は大きく変わらざるを得ないかもしれない。ただ、マスメディアは不安を煽り過ぎている。正しく恐れることを難しくしている。私は言いたい。桜の樹の下には屍体が埋まっていると。犠牲ではない。生死は表裏一体である。美は死と共にあることで安定する。どんな状況下でも、希望の花は咲くのだ。屍体のみを見て絶望してはならぬ」

そして三人は朗読を始めた。ほのかな苦みを感じながら。

・・・・・・・・・・

【畑野 慶 プロフィール】
祖父が脚本を手掛けていた甲府放送児童劇団にて、小学二年からの六年間、週末は演劇に親しむ。そこでの経験が、表現することの探求に発展し、言葉の美について考えるようになる。言霊学の第一人者である七沢代表との出会いは、運命的に前述の劇団を通じてのものであり、自然と代表から教えを受けるようになる。現在、neten株式会社所属。

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