創世樹 Episode 2
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創世樹 Episode 2

執筆:ラボラトリオ研究員 畑野 慶


決意

攫われたわけではない。妻は必ず帰って来る。

独りぼっちになった夫は、信じて忍耐強く待ちました。

尊い方の自宅へ行ってみたりせず、何も行動を起こさなかったのは、第一に行き違いを恐れたからですが、社会との長い隔絶によって、出て行くという行為そのものに怖気付いていました。

家の中を押し広げるような寂寥感。
妻の衣服は、あたかも抜け殻でした。

話す相手がいなくなったことで、言葉を忘れてはならないと、多くの詩歌を創作しましたが、心情を言葉にするほど辛くなり、やがて虚空に諳んじる口を閉ざしました。


尊い方が再度現れた時、夫は言葉を話せなくなっていました。
胸の内では話せるのですが、喉元でもどかしく滞留して、どうしても発声に至りません。妻の姿がなく、狼狽して、身振り手振りで尊い方と向かい合いました。

「安心せい。彼女は無事じゃ。
お前さんでも慌てるのか。ちっとも出て来ずにここで待っておるから、えらいのんびりした男と思っておったぞ」

信じていたのだと、夫は口だけを動かして、両手を己が胸に当てました。

「付いてくるが良い。お前さんが長い間目を向けていなかった広い世界は、今混沌としておるぞ」


やおら歩き出した尊い方に、夫は諸々の準備や逡巡の間を与えられませんでした。
久方ぶりに出た外の世界を見て回るように、随伴する足の運びはゆったりとしていました。

群れからはぐれた子羊をあちこちで見つけて、次第に聞いていた巨木の壮大な茂りを視界に捉えて、ある町に差し掛かってすぐに気付いたのは、殺伐とした雰囲気と、話されている言葉の変容です。
発音はおろか語順も異なっていましたが、不思議なことに、何を言っているのか理解出来ました。

しばらく進むと、それともまた異なる言葉を話す者たちに遭遇して、一つだった言葉の枝分かれを知りました。

「やはりお前さんは聞き取れているみたいじゃの。
だが、ここにいる者たちは、一つの言葉しかそれぞれ理解出来ていないのじゃ」

そして、唐突にこうなったわけではないと聞かされて、夫は楽園に籠り続けた日々を反省しました。自分善がりという言葉が胸に落ちたのです。

「妻と共に国を産むのじゃ。混乱を収めて公に貢献するのじゃ。
見て見ぬ振りは許されぬぞ」

夫は力強い眼差しで頷きました。一念発起です。

どうしたら良いのか教えられました。
それはまず、“八つの響き”を集めよ、ということ。
片や、妻は“五つの音”を集めるのだそうです。

「集めたそれぞれを合わせるのじゃ。
お前さんには響きが香りで分かる。響きとは余りで、曖昧に漂っておる。
妻の方は、集めるべき音が色ではっきり見えておる。
各々の役割を果たすのじゃ」


そそり立つ巨木の袂、湖畔に達した足は止まり、口はあんぐりと開きました。しばらく顔を上げたままの夫は、湖に木が立っているところを目の当たりにしたのです。

山のような樹冠は、豊かに木垂り、まん丸い深紅の果実を無数に付けて、取り囲む水鏡を彩っていました。
僅かに見える対岸のちょうど真向いは、蔦を絡めた太い幹に隠されていました。

出立

湖畔の湿り気を帯びた芝地を歩き、以前と変わらない趣の煉瓦造りの家へ。
妻がいることを匂わせての招きでしたが、そこには誰もいませんでした。
玄関付近に畳んで置かれた衣服は妻のもの。

尊い方は肩をすくめました。

「なんとせっかちな女よ。驚かせてやろうと思って、お前さんを連れて来るとは言わんかったが、ここで待っておれと言ってあったのじゃ」

どうやって五つの音を集めるのか、妻はすでに詳しく聞いていたようです。夫はすぐに後を追いたいと、その場で走る振りを見せました。

「彼女は湖を右側から回って音を集めておるはずじゃ。
お前さんは左回りに響きを集めて、対岸にある、ここと同じ外観の家で落ち合うのじゃ」

大事なものとして手渡されたのは、白い衣服に白い小箱、そして大振りな扇子でした。

「この扇子で響きを掬い取って、この箱に納めよ。
百聞は一見に如かず。実践あるのみじゃ。お前さんには香りで分かる。
この真新しい清潔な服に着替えて出立せよ」

脱いだ衣服を綺麗に畳むと、妻のものと置き換えました。
まだ温もりが残っていると感じたその抜け殻を、あれもこれもと、老婆心で持たされた鬱陶しいものと纏めて背負い、扇子は腰に挿しました。小箱は脇に抱えました。

道程は教えられた通り、湖畔を左回りです。
香りを意識して探すよりも、妻を追い掛ける思いが先に立ち、やや急ぎ足でしたが、一向に扇子を使う機会と遭遇せず、途中ではたと立ち止まり、視覚を閉ざしました。
嗅覚を研ぎ澄ませて、しばらく香りをじっと待ちました。

そして、開いた扇子を一振り。
小箱の蓋は、中へ響きを招き入れる瞬間だけ少し開けました。

同じ方法で響きを集めるうちに、重複してはならないと、識別する為の記号を割り振って覚えました。
最初に収めた響きをT、次をK、その次をMと、感覚的なものでした。

似た環境下では、異なる香りを感じ取れず、湖畔を一旦離れて町の中にも入ってゆきましたが、そこは香りが雑多に入り組んで、純粋な響きを捉えられませんでした。

すると、山の中へ向かいます。
川の側や崖の上、様々な場所で目を閉じました。
待ち受ける姿勢も変えてみようと、座ったり寝そべったりするうちに、当初の焦りはなくなっていました。


巡り合い

やがて、七つの響きを小箱に収めましたが、なかなか残りの一つを探し当てられず、彷徨い歩いていると、一組の親子が近寄ってきました。
父親はひょろっと、息子はがっちりと、正反対の体つき。片や、顔立ちはまさしく親子のそれです。どちらも被っていた帽子を取りました。

「なんと、あなた様は、これから国を作られるお方」

またも初耳の言葉でしたが、そのように言っていると分かり、怪訝な表情を返しました。

「お召しの服装で分かるのです。是非、あなた様のお役に立ちたい」

どうやら息子がお供になり、背負う荷物を運んでくれるという。
疲れを感じ初めていた為、有り難い話でした。深々と頭を下げて受け入れました。

その瞬間、不意に香る、残りの一つを感じ取り、即座に扇子を抜きました。

閉じたままそれを突き刺したのは、お供になる男の鼻先すれすれで、覚悟を試すようでしたが、彼はぴくりとも動きませんでした。
そして、合格と言わんばかりに、ぱっと開かれた扇子は、最後の響きを救い取ったのです。


お供が荷物を背負い、ふたりで湖畔に戻りました。軽い足取りになりました。
八つの響きは箱とその蓋の隙間から少しずつ余り出ていました。

途中、道端の程良い腰掛け石で休み、お供を労っていると、彼のひょろっとした父親が、自慢の娘を連れて追い掛けてきました。

「どうです?美しいでしょう。お国を作られたあとは何卒、うちの娘をもらってください」

お供の妹にあたる彼女を見ると、可憐な照れ笑いを浮かべました。
丁重に断る為に、まず妻がいることを伝えようとしました。話せない苦しみを痛感しました。

「あなた様ならば、複数の妻を娶っても構わないでしょう」

首を横に振りました。
示指を一本立てた後、その手を己が胸元でぎゅっと握りました。

「そうですか。とても残念です。
しかしながら、あなた様の信念に心打たれました。どうか無礼な申し出をお許しください」

肩を落として引き下がり、娘と共に帰ってゆく姿を見送ると、後ろめたい思いが湧き出てきました。
力を貸してくれた彼ら家族に、何も恩返し出来ていないのです。

再びお供と歩き出して、何を返せるか考えました。
国を産むことで、きっと彼らの為にもなると信じましたが、それ以外にも何かをと、考えるばかりで答えを先送りにして、寄り道せず、順調に歩を進めました。


辺りは仄かな暮色を帯びて、出発点の対岸に差し掛かると、ぽつりと光る、煉瓦造りの一軒家が見えてきました。
指し示す伸ばした腕で、そこが目的地だとお供に伝えました。

胸を踊らせて近付き、玄関の扉をとんとんと叩きました。
応答がなく、もう一度叩きました。すると、後ろから肩を叩かれて・・・

ふたりは抱擁を交わしました。
妻の目にも涙がありました。
接吻を拒んだのは、少し離れてお供が恐縮していると気付いたからです。

妻も言葉を話せなくなっていました。
それでも互いにやるべきことは分かっています。

どちらも同じ見た目の、白い小箱でした。
息を合わせて同時に開けるつもりで、いざ!と、妻が声にならない声を発した次の瞬間、ふたりは白い煙に包まれました。

(つづく)

←創世樹 Episode1はこちらです
創世樹 Episode3はこちらです→

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【畑野 慶 プロフィール】

祖父が脚本を手掛けていた甲府放送児童劇団にて、小学二年からの六年間、週末は演劇に親しむ。そこでの経験が、表現することの探求に発展し、言葉の美について考えるようになる。言霊学の第一人者である七沢代表との出会いは、運命的に前述の劇団を通じてのものであり、自然と代表から教えを受けるようになる。現在、neten株式会社所属。

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