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交い湖 Episode 3

執筆:ラボラトリオ研究員  畑野 慶

進路

その晩、一睡もできませんでした。どれほど死ぬわけではないと考えても涙が出てきます。これまでの女たちは勇敢だったと、男の自分が負けるわけにはいかないと、奮い立たせて早朝から走ります。隣村に向かっていました。弟にはすべての事情を伝えて、妹と母の将来を任せるつもりでした。重荷を背負わせてしまう分、隠しておけないのです。男同士の、いや兄弟の、大切な約束を交わすのです。満月の夜は五日後でした。


親切な人たちのお蔭で弟の家はすぐに見つかりました。大切な話があると呼び出して、兄弟二人きりになります。木立の下に並んで座り、その話を待つ弟は緊張した面持ちです。ナマヨミは精一杯の笑顔を作りました。

「黄色と紫色の花を使ってかんむりを作ってほしいんだ。なにせ私は手先が不器用でね」

弟が吐く息は少し震えました。妹が被るものだと思ったことでしょう。頭に付ける豪華な花は、花嫁の象徴でした。

「ちなみに、それは私が被るんだ」

意表を突かれて笑う弟に、気持ち悪いだろうとひょうきんに言って、ナマヨミはそれから本題に入りました。柔らかい言葉を選びながら、長老からの話と、自分の前向きな考えを、つまびらかに伝えました。皆と別れる悲しみも。ただ、恐怖心だけはないことにしました。

「泣くな。死ぬわけじゃない」

言葉に出して自分に聞かせているようでした。静かに涙をこぼす弟を見て、自分の為に泣いてくれているのだと、貰い泣きしそうになりました。出会って百日に満たない男の為に、彼は泣いているのです。出会って百日に満たない男に大切な妹を授けて、自分は旅立つのです。

「君と妹は結ばれるべくして結ばれる関係だ。神であろうと、それを阻止することはできない。私が証明して見せる。神と話し合いに行ってくる。私たちの愛を伝えれば、きっと神も理解してくれるだろう。帰してもらえるかもしれない。だが、そうならなくても心配はしない。君は私が認めた男だ。弟よ、幸せになれ。妹を頼む」

差し出した右手を弟が両手で握り、その上に左手を添えました。

「お兄さんの覚悟、しかと受け取りました」

満月の夜に旅立つまでは二人だけの秘密、兄弟の約束です。花かんむりに加えて、変装用のかつらも作ってほしいとお願いしました。妹になりきり、小舟に乗って来るという使者を欺く為です。幸い背丈が低く、足まで覆い隠す上着を羽織れば夜も味方になり、女に見えるだろうと考えました。弟の器用さに最善を託して、当日ここで受け取ってそのまま湖畔に向かうつもりでした。枯れてしまう花かんむりは、当日用意する必要があるのです。

「いえ、私がお届けします。最後の日は一刻でも大切に、どうかご家族でお過ごしください」


水面下

そして前日まで、ナマヨミはさながら日課のように、二つの村を自慢の足で往復します。疲労は迷いが生じがちな思考を奪い取ってくれました。雨で足元がぬかるむ日もありましたが、慎重に歩を運んで、黒い麻糸を編んでのかつら作りを手伝いに行きました。弟は上着の準備まで進めていて、どこからか譲り受けたものに手を加えていました。彼の家族とも打ち解けて、明日も来ると思われた時には、もう明日は旅立ちの日でした。

「今日で最後です。また会いましょう」

最後の意味を知る者は、もちろん兄弟二人だけ。最後の確認は場所を移して行いました。誰かに見られないように試着した服は、黒地に赤の、女しか着ない魔除けの文様で綾なしてありました。計算された丈はくるぶしに触れる長さで、かつらもちょうど良く頭に嵌りました。

「今夜最後の調整をして、明日の夕方、花かんむりと共に」

薄曇りでしたが、そこは眺めが良い場所。遠方には見る角度によって表情を変える山並みがあります。下方には村の広場があります。名残惜しく目に焼き付けていると、妹の成人式を思い出しました。覗き見ていたことの後悔が頭をもたげて、参加できない将来の結婚式を想像して、不覚にも、弟には、あの日晒せなかった無様な顔を見せました。泣くなと言って、結局泣く自分を弱いと思います。ですが、決意はぶれません。共に泣いてくれる弟のお蔭でした。

「兄弟の絆が私たちを強くする。遠く離れて暮らすようになっても、それを忘れてくれるな」


夕待ち

暮れに満月を迎える日の空は、朝から爽やかに晴れ渡っていました。ナマヨミの心の内も同様に、消えることのない恐怖と悲しみは障りにならず、不思議なほど穏やかでした。何気ない一日を心掛けました。畑仕事に魚釣り、当たり前のことが尊いことです。普段よりも自然と感謝を口にしました。妹は無邪気に笑っていました。

「何かあったのかい?」

母だけは僅かな違いに気づいたようです。惚けてみたものの、自分の口で伝えておかなければならない思いがありました。

「何があっても信じてほしい。決して恥になるような生き方はしないから」

母は何も言いませんでした。すべては弟の口から、事後知らされることになるのです。許してほしいと、ナマヨミは心の内で言いました。見ていてほしいと、天を仰いで言いました。天上の世界まで見通せるほど青く澄み切っていたのです。


父よ、私はこれから神の元へ旅立ちます。天災から村を守る為に。妹の良縁を守る為に。私利私欲を投げうって、神に物申すのです。信じる道を行くのです。この勇気にどうかお力添えください。私はあなたの自慢の息子でありたい。


弟を待ちます。約束の時が迫っていました。余裕を持ってやって来るに違いないと見越した上で、川から汲み立ての冷たい水を用意していました。朝晩は涼しくなったものの、晴れた日中は残暑厳しい。家で待つことになったのは弟の優しさです。何か分からないようにしてお渡ししますと言われていました。妹はどこかに出掛けていて、もう会えないかもしれないと思いますが、あれこれ案ずるのは杞憂なのです。頼りになる弟がいるのですから。信じて託したのですから。

そわそわと波立ってはいけない。弟は今頃そう遠くない場所を慌てて走っている。きっと足を遅らせる、何かがあったのだろう。多少の困難は乗り越えて、日が落ちるまでに必ずやって来る。一片の疑いもなく、泰然自若と待っていたと伝えよう。慌てて花を詰みに行くような行為は、兄弟の絆に背くことだ。


水は汲み立ての冷たさを失いました。妹が上機嫌な様子で帰ってきました。外に出てみると、辺りは夕日に照り映えて、東の空は暗くなり始めて、群青を背景に白い月が浮かんでいました。日没は間もなくです。走り来るはずの道を見つめました。闇が降り掛かる中で立ち尽くしました。妹が家から出てきて怪訝そうに声を掛けます。ナマヨミは何も答えず微笑みました。

「今ね、木造りのお守りを作ってるの」

作りかけの物を見せてくれました。上手な者に習っていて、できたら弟に贈るのだそうです。秘密にしておいてほしいと言われて、ナマヨミははっと思い返します。自分が弟にそう言った理由を。母も妹も、知れば自分が神の元へ、周囲を出し抜いてでも自分が行こうとするからです。まさか・・・と、今さら気づきました。西のつばくむ稜線は橙色に光り、すでに残照でした。

(つづく)


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【畑野 慶 プロフィール】
祖父が脚本を手掛けていた甲府放送児童劇団にて、小学二年からの六年間、週末は演劇に親しむ。そこでの経験が、表現することの探求に発展し、言葉の美について考えるようになる。言霊学の第一人者である七沢代表との出会いは、運命的に前述の劇団を通じてのものであり、自然と代表から教えを受けるようになる。現在、neten株式会社所属。




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