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脱マトリックス!理論と実践2020 (vol.8):神はバチを当てない

執筆:いち あまね

この時代の人類の進化の方向性として、はっきりとこの世界の仕組みを理解した上で、マトリックス空間を抜け出し、自分を超え、人間を超え、無限の可能性を発揮するクリエイターとして生きること。

そのための情報をお伝えしていきます。

バチ(罰)というプログラミングと病

先日、母親の言葉にぎくりとして、心がざわついたエピソードがあります。

普段、私は仕事がライフワークと思い、ほとんど仕事中心の生活を送っており、プライベートで休むことはほとんどありません。
そんな私が、本当にたまの休暇をとっていたのですが、梅雨時ということもあって、大雨で足止めを食らっていました。

そんな時、母親が思わず、

「あなたが遊び呆けているから、バチが当たったんだ」

そう言ったのです。

驚くと同時に、心がざわざわし、同時に、納得しました。
だから、この人はまだ、寝込んでいるんだ、と。

母親は、私が物心ついた時から、ずっと寝込んでいました。
病名はつかないのですが、様々な症状にずっと苦しみ続けてきました。

西洋医学では診断も治療法もなく、様々な代替療法を試し、ヨガや瞑想、気功、マインドアプローチ、エネルギーワークなど様々な療法を試して、かなり改善はされているのですが、最後の最後のところで、まだ改善しないのです。

根本的な原因として、前回お話ししたように、「I αm 病気」というアイデンティティを手放せていないということもありますし、色々なマインドのブロックがあることもわかっています。

今回発見したのは、ひとつのプログラミングです。


神はバチを当てない

「遊ぶこと」「自分を楽しませること」=「悪いこと」だから、「バチが当たる」。

母親の場合のバチは、体の症状となって現れることになります。
母親は、外出が好きで社交的なので体調が少々良い時には、出かけようとします。
でも、出かけると必ずその後、倍の時間寝込むことになっています。
要するに、これは、「悪いこと」をしたために「バチ」を引き起こしている状態です。

「バチ」の方法は、病気だけでなく、経済的や社会的な失敗や痛手など、人によって違いますが、幸せになれないプログラミングの典型と言えます。
「良いことがあったら、必ず悪いことがある」などの思い込みも同様です。

真実、神はバチを当てるでしょうか?

当てません。

神、つまりロゴスのシステムは、完全にニュートラルで、「善悪」などの判断によってバチを当てたり、当てなかったりする人間的なものではありません。

「善悪」の判断は、全て、人間的で、かつ、主観的なものです。

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神と言っても、ギリシアの神々など、人間をモデルに人間が考え出した神や、架空の神を自分とは切り離した天に置く宗教的な神は、全く別です。

バチは、全て、自分の仕業が自分に返ってくる、自律型循環システムです。
つまり、自分が自分にバチを当てていると言えます。

「〇〇したら、バチが当たる」という、自分の条件付けが、繰り返されるたびに強固なプログラムとなって、その現実が顕現してしまうことになります。
何をしたらバチが当たるかは、個人個人、また、家族の思考・教育、社会的な常識などの集合意識によっても変わります。


言葉の家族間連鎖

「遊ぶこと」=「自分を楽しませること」=「悪いこと」
このプログラミングは、大変に禁欲的で、自罰的です。

「あなたが遊び呆けているから、バチが当たったんだ」

母親のこの言葉は、戦時中から学校教師であった母親の母親、つまり私の祖母の言葉です。

多くの日本人には、「自分を楽しませてはならない」「自分を歓ばせてはならない」といった刷り込みがありますが、これは、戦時中からの禁欲的な教育が未だに受け継がれている要素が大きいようです。

小さな子どもが、まるで大人のような発言をすることを聞いたことがあると思いますが、それは、親の口真似です。
こうして、親の言葉は、子どもの言葉となり、そのまた子どもへと受け継がれていきます

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私自身も、人間のシステムを理解するまでは、母親から「遊ぶこと」=「自分を楽しませること」=「悪いこと」という刷り込みを受け継いでいたので、自分を楽しませることが大変に苦手でした。
母親と同じく、遊びに行くとすぐに寝込むということを繰り返していました。

でも、まだそのセリフを聞いて心がざわつくということは、潜在意識の琴線に触れて感情が動いている証拠ですので、完全リリースには至っていないようです。
まだまだ、道半ばです。


「イ」としての自由意志として生きる

真実には、人間は、何をやってもよく、何をやらなければならないということもなく、無碍世界の自由意志をそのままに発揮して生きて良いはずなのに、なかなかそう思うことができません。

でも、それは、人間というシステムを持って、このマトリックス世界に生まれた時から、避けられないことであることは、これまでにお話ししてきました。

ある段階までは、そのシステムの中で、様々な体験・経験から様々な学びや気づきを得て、そして、自分で創り出したマスク、アイデンティティ、をどんどんと脱ぎ捨てていき、自由意志そのものの自分に返っていくのです。

言霊学において、「アオウエイ」の「イ」は、現実を創造する最上位の無碍世界の自由自主の意志そのものです。

「イ」は、親音と呼ばれ、母音・半母音、父韻という二元性が合一した完全体であり、万物を生み出す創造の源、つまり、創造主です。

「アオウエ」という四智に現される、3次元空間と時間の1次元を加えた4次元の相対世界(マトリックス空間)を抜け出た5次元の絶対的世界であり、そこには、「〇〇したから、バチが当たる」という条件付けされた因果関係は存在しません

「イ」の自分は、あらゆる因果律から解放され、自分自身が創造の中心となる完全に自由な世界に生きることができます。

病気もあらゆる不幸も現実化する必要はなく、ただ、歓びのままに自由に生きることが可能になります。

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でも、生まれた時からいきなりその境地に在ることが理想的なのではありません。
その手前の段階の様々な人間臭い経験は、自分の成長や学びだけでなく、集合的な叡智となり、人類全体の学びと進化につながっています。

病気という人間的には辛い経験も、自分自身の気づきと成長を促すきっかけになります。
私自身も、母の難治な病気とその闘病によって、辛く暗い幼少期ではありましたが、その歴史があったからこそ医者になり、人間とは何かを探求し、今、このように皆様にお話を共有させて頂くことができています。

私自身も、まだまだ、「イ」とはいきません。
でも、一段階、本質は5次元にあるということを知っていることで、マトリックス空間内においての様々な出来事にも、感情的に振り回されることなく、俯瞰的な観察者として対応することができます。

知っているのと、知らないのでは、全く世界に対する見方が変わってきます。
その上で、実践あるのみです。

(つづく)


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【いち あまね プロフィール】
医師・認定産業医・文筆家
米国IBA認定・ボディトークプラクティショナー
国立大学医学部医学科卒

出口王仁三郎が霊山として、邸宅を構えた岡山県熊山遺跡の麓に生まれる。
某大学病院糖尿病代謝内分泌科を経て、臨床医として最新のバイオロジカル医療・予防医療から在宅・看取り医療まで幅広く臨床経験を積みながら、個々の病気の根本原因やより良き生と死に向き合ってきた。
究極のヘルスケアは、人類の進化であると捉え、最新の分子整合栄養療法・バイオロジカル医療から常在細菌学、生命科学、意識科学、理論数学、物理学、哲学などを統合した視点で、医療とヘルスケアの次元上昇を目指している。
薬を処方する代わりに、情報空間へのアプローチとして、情報を処方することを天職と捉え、書籍やメディアなどで情報を発信している。








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