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結魂式における宣言

執筆:ラボラトリオ研究員   七沢 嶺

令和元年六月九日、私は結婚した。

魂の結びであるから、結「魂」式と書く。
父が名付けたそれは、日本人の結婚観の本質であると考える。
個人同士・家同士の社会的な結び付きだけではなく、人類に内在する根源的な何かの結びではないだろうか。

我々日本人は、いにしえより、時の節目に祭祀をおこなってきた。
それは、毎日、頭を垂れるという神への敬意だけではなく、神との対話である。
ともすれば、神の声を聴くというと、新興宗教めいて聞こえるかもしれない。民俗学や国文学の専門家でもない私がいうには初歩的な誤りもあるかもしれない。

しかし、私はそのように直感している。祭祀における祝詞という願文は、その内に特別な力を秘めているとさえ思うのである。

そして、私は結魂式において短歌という詩型で宣言した。
父は、その宣言に対して、同じく短歌をもって応えてくれたのである。

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父は文学だけではなく、科学、歴史、宗教、芸術、経済、数学等、おおよそ人類が定義した学問すべてを習熟している。
身内自慢になってしまうが、現代の大哲学者である。

その父との歌の贈り合いは、私にとって特別なことであった。
わずか三十一文字であるが、散文のそれとは比較にならないほどに、私の魂を揺さぶったのである。
それは、私の宇宙の新たな拡がりであり、私という一個人の短い歴史における常識をも激変せしむる出来事であった。

 真直ぐと伸びる光に嶺の松辺り照らして輝けり  賢治
 ひさかたの光満ちるや峰の松緑さす山鳥放ちけり 嶺

短歌とは意味を超えた概念を共有する文学である。
私は文学の学習をはじめて一年程度の初学者であるが、そのように考えている。

もし、意味だけで捉えれば、
「山に生える松に光があたっている。
 そして、そこから鳥が羽ばたいて行った。」
ということである。

しかし、その意味を超えて、言外にそこはかとなく匂い立つ美や概念があらわれている。
歌を一字一句「解説」するのは自惚れを伴うため、ここでは割愛させていただくが、一言だけお伝えするならば、

峰は嶺、つまり私のことであり、光は真樹子(妻)である。
鳥は人類の希望である。

結魂式における宣言、そして多くの方々の祈りは、私たち夫婦、兄弟、親子だけに留まらず、人類の進むべき正しい道をも照らしていると確信している。

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また、偶然か必然か、私、畑野家と七沢家の出会いの地である甲府(酒折宮:さかおりのみや)は、連歌発祥の地である。そして、我々、ラボラトリオ(和名:文章工房)の拠点である。
本活動が、この甲府から世界、果ては全宇宙までをも包含し、その本質から最適化される端緒となれば幸いである。

最後に、俳句・短歌を含む文学の学習を始めたばかりの私の考え等に、笑うべき蒙失があることはお詫び申し上げたい。
また、これから、多くの方々のご感想、ご指摘を賜り、より良い文章を書けるように精進していく所存である。

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【七沢 嶺のプロフィール】
祖父が脚本を手掛けていた甲府放送児童劇団にて、兄・畑野慶とともに小学二年からの六年間、週末は演劇に親しむ。
地元山梨の工学部を卒業後、農業、重機操縦者、運転手、看護師、調理師、技術者と様々な仕事を経験する。
現在、neten株式会社の技術屋事務として業務を行う傍ら文学の道を志す。専攻は短詩型文学(俳句・短歌)。

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