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明け遣らぬ  Episode1

執筆:ラボラトリオ研究員  畑野 慶

   人は言葉なり
   国は国語なり
   言葉なき進化は牛歩の如し
   国語なき大地は浮草の如し

原始

赤道を挟んで三日月型に、地球上のすべての大陸が一つに繋がり、再び分裂を始めたのは凡そ二億年前のこと。哺乳類はネズミほどの小動物でしかありませんでした。

大陸の変動は、地球全体の環境を理不尽なほどに大きく変えて、ある時期の支配者たる種をも絶滅に追いやります。弱くとも適応できた動植物のみが種を繋ぐ、それは即ち、盛者必衰の歴史です。神の気まぐれは運命であるかのように。

悲劇は宇宙からやって来ることもあります。呼吸器官を進化させた恐竜たちは、超大陸分裂後の、活発な火山活動による低酸素時代を謳歌しましたが、燃え盛る巨大な飛来物が引き起こした大量絶滅の波にあえなく飲まれました。


かの分裂から凡そ一億六千万年後、七分割された内の二つの大陸が北半球で衝突しました。そして始まった隆起は、後に地球史上最大の山脈を生み出すことになります。年間数センチほどの歩み。

衝突しても尚、大地は止まらなかったのです。海の化石をも押し上げながら、悠久の時を経て、雪氷を纏う矛が天を突き刺すような、聳え立つ高さに至った時、遥か南西の、四千キロメートルほど離れた場所にまで影響を及ぼして、そこに生きる我々の祖先を苦しめました。

峻険な山々に遮られて雨を降らせた後の、暖かく乾燥した空気が、上昇気流に乗って運ばれて来るようになったのです。凡そ一千万年前のこと。まだ全身を毛に覆われた祖先が暮らす楽園たる熱帯雨林は、降雨量と共に減少して、まばらに散らばるようになりました。

密集する樹冠の中をどこまでも華麗に飛び移る祖先の生活はままならなくなり、外敵の多い地上に降りざるを得なくなったばかりか、恒常的な食物不足に陥ります。子孫を連綿と繋ぐ過程で進化させてきた目を使っても、以前のようには果実などを見つけられなくなりました。

ですが、この危機的状況は、旧態依然を抜け出す分水嶺。祖先は二足歩行へと進みます。無論急に立ち上がって歩き出したわけではなく、乾燥化から三百万年以上を掛けてのことです。

手を使っての運搬を覚えました。当初の骨格では膝や腰に過度な負荷がかかりました。走ったり長距離を歩いたりせず、よちよちと、地上では明らかな弱者でしたが、それでも歩くことを不思議に見限らず、子どもたちには胸まで浸かる水たまりで覚えさせて、次第に適応した骨格と筋力を作り上げました。

狭くなった骨盤のせいで難産になり、あまつさえ以前よりも小さい未熟児の状態でなければ出産できず、二足歩行の利点を理解して天秤に掛けたというより本能的な、或いは神がかり的な、理屈を超えた驚くべき進化でした。

同時に、食にも革命的な変化が起こり、少しずつ肉を口にします。狩りの術を持たず、さながらハイエナのように死肉の物色から始まりましたが、もしも果実が豊富にあれば、そのような行為に出るはずもなく、生存の為の新たな開拓が、祖先の体内に高タンパクをもたらして、脳の肥大化に貢献しました。

契機

土と緑の大地を広大無辺に捉える祖先の視界から、東に遠ざかった海との間で、凡そ四百万年前に異変が起こります。南北を縦断する壮大な渓谷が、マントルの上昇流によって更に引き裂かれ、大きく隆起して、海からの湿った空気を遮るようになりました。

内陸の乾燥化に追い打ちを掛けて、残り少ない熱帯雨林からサバンナへ、祖先は適応を迫られました。草を食む動物が激増して、その肉を狙う動物が躍動して、ややもすれば後者の方が強く思われがちですが、逃げる前者は命がけ。あれば手に入る草や果実とは異なり、容易く狩ることなどできず、力尽きた際には、鋭い牙を持つ自らが弱肉に落ちる運命でした。

狩りを身に付けつつあった祖先も同様で、乾燥した土の中から食べられる植物の根を掘り出して、糊口を凌ぐことがありました。経験上、硬くて不味くとも栄養価が高いものだと知っていたのです。

雑食によって命を繋ぎ、知恵を絞ることで脳を進化させます。“心”が生じて、社会性のある集合体を形成します。協力は何事も、真似から始まりました。表情豊かに喜怒哀楽を伝え合い、単なる群れとは異なりました。

狩りの手法はまだ原始的で、定めた標的をひたすら追い回すのですが、それを繰り返して獲得したのが強靭な足腰と薄い体毛です。爆発的な瞬発力を持つ他の動物のようには捕らえられないと学び、全身から熱を放出しながらの長距離走に特化したのです。

のっそりとしたかつての面影はなく、懸命に走って標的の疲労を待ちました。宏闊なサバンナの炎天下。手には石を削って作った槍。その頃、祖先は石器を発明したのです。

武器と走れる体は確かな自信になり、未知なるものへの好奇心、及び信仰心も生まれます。自然と崇めたのは、遠い地平線から昇る太陽です。肌で感じる灼熱の凄まじい力。いつか落ちてくるのではないかと恐怖を覚えながら、やがて誰とはなしに日の出を拝み始めました。

不思議に手を合わせる、その文化と呼ぶべき信仰は、強い結束になりました。神という概念はおろか、言葉すら持っていませんでしたが、未踏の地へと、好奇心を原動力に、足先は東を向きました。

日の出づる場所を目指す、大いなる旅路です。それがどれほど遠い場所なのか、祖先は知る由もありませんでした。

遼遠

野山を越えて、世代も越えて、一族は枝分かれしながら旅を続けました。最大の敵は絶えず変化する環境です。一難去ってまた一難。一山越えれば別世界。生きるとは旅をすることと、本能に刻み込むような足跡でした。かつて刻んだ楽園の消失という経験が、定住を避ける遠因になっていました。本能の疼きです。

加えて習うことは先達を真似て、子どもたちも崇高な輝きに手を合わせました。沈んではまた昇る、その神秘を求め続けたのは、生まれ変わることへの無意識的な渇望です。

時に残酷な決断を下して、衰弱した仲間を置き去りにすることや、生まれたばかりの子どもを間引くこともありました。生きる為には、五体満足でなければなりませんでした。

心が豊かになるほど彼らは苦しみ、目からふっと流れ出るしょっぱい雫に戸惑いました。自分たちの歩みが、多大な犠牲の上に成り立っていることを漠然と、次第にはっきりと理解します。

社会的な動物としての比類なき進化を遂げて、ぽつぽつと短い言葉を話すようになります。褒められたり必要とされたりする、他者からの承認を望むようになります。そして恥という感情が芽生えたことで、祖先は地球史上唯一の、赤面する動物になりました。

“火”の発見は落雷によるものでした。怖ず怖ずと近づいて手にした、光と熱の新たな力です。闇夜を照らして、凍える体を温めて、外敵を遠ざける防衛としても役立ちました。使い方をどう誤れば火傷するかを学びながら、偶然の産物たるそれを絶やさないように、注意深く扱いました。

そしてある時、強風で擦れ合う木の枝から自然発火した様子を目にします。似た気象条件の日に木々をつぶさに観察します。その探究心は、火起こしの術へと繋げました。乾いた木の上に別の木を垂直にあてがって、ぐりぐりと擦り合わせることで摩擦熱を生み出す方法です。火種消失の怯えはなくなりました。

食にも劇的な進歩がありました。焼いて食べる、という調理です。食中毒による危険の低下と、摂取する栄養分の増大。火がもたらした恩恵の知的活用は、その世代を境に、体つきまで変えてしまうほどでした。

かつて枝分かれした同族との出会いは、争いになることもありましたが、集合体の再編成を促して、異なる経験と知恵を分かち合いました。喜びと同時に危機感も生じさせて、仲間内での情報交換が密になり、話す言葉を増やしてゆきます。

昨日や明日などと、過去と未来も語れるようになります。やがて同じ言葉の使用が連帯感になるのですが、声帯が未成熟だった為に、言語と呼べるほど豊かなものではありませんでした。要するに、いずれも不完全な言葉。祖先は母音が発音できませんでした。

紫紺に晴れ渡った夜、星空観察は数少ない楽しみの一つで、鏤められた光の配置に馴染み深い動植物を見立てました。火を囲むことで日没後も活動的に、賑々しくなると、特別な日を定めて、自ら静寂を作り出すようになります。

満月か、それに類する月が揚がった夜は、文化的な瞑想を皆で行いました。不思議に各所で、誰かに習ったわけでもなく始まりました。ある者は目を閉じて、ある者は月を見上げて、その手法は日の出とは異なり様々でしたが、心を鎮めるという点と、月輪たる形に美を感じている点は、どこでも皆同じでした。完璧な球体は、空にしかない神秘。月は太陽に次ぐ、仰ぎ見る対象でした。

(つづく)

明け遣らぬ Episode 2はこちら →

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【畑野 慶 プロフィール】
祖父が脚本を手掛けていた甲府放送児童劇団にて、小学二年からの六年間、週末は演劇に親しむ。そこでの経験が、表現することの探求に発展し、言葉の美について考えるようになる。言霊学の第一人者である七沢代表との出会いは、運命的に前述の劇団を通じてのものであり、自然と代表から教えを受けるようになる。現在、neten株式会社所属。

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未来作家 畑野 慶による新たなる人類の創世神話