
日本文化の底流をなす静かなる勢い
執筆:ラボラトリオ研究員 七沢 嶺
令和二年一月八日、甲府では朝から冷たい雨が降っていた。
しかし、後七日御修法がおこなわれている祝殿のなかは明るく感じられた。
壁にかかる五大明王が気を発しているようであった。
雨に鎮まる静謐さのなかに勢いがあった。
国(くに)稚(わか)く浮きし脂(あぶら)の如くして、
海月(くらげ)なす漂へる時、葦(あし)牙(かび)の如く萌え騰(あが)る
(古事記より引用)
私は古事記の一節を思い出した。
祝殿の雰囲気と響き合うものがあったからである。
葦牙は音もなく、まるで時間を跳躍するかのような速さで萌え騰る。
この静かなる勢いは、日本文化の底流をなしていると思うが、それは穿ち過ぎた見方であろうか。
明治時代の書物を紐解けば、日本人は、謙虚であるが卑屈ではないと海外から評されている。
当時、来日した英国の詩人エドウィン・アーノルド氏は次のように述べている。
“その景色は妖精のように優美で、その美術は絶妙であり、その神のようにやさしい性質はさらに美しく、その魅力的な態度、その礼儀正しさは、謙譲ではあるが卑屈に堕することなく、精巧であるが飾ることもない。
これこそ日本を、人生を生甲斐あらしめるほとんどすべてのことにおいて、あらゆる他国より一段と高い地位に置くものである。”
私は仏教の専門家ではなく、学習も未熟であるため、五大明王についての学術的な考察はできない。しかし、五大明王を目の当たりにしたとき、日本文化の底流をなす静かなる勢いと響き合うものを感じたのである。
和魂洋才(和魂漢才)という言葉がある。
魂は日本のままで、海外の良いところを積極的に取り入れる意である。
私の学生時代の浅い知識であるが、仏教は飛鳥時代に日本へ伝わり、平安時代になって真言宗が分派したそうである。
五大明王はその尊格であり、毎年、後七日御修法として国家安穏を祈るのである。
釈迦族の絵師が十年以上の月日をかけ完成させたその五大明王は、火焔の細部まで精密に描かれている。命を賭して挑む絵師の気高き魂までもが、目に見えない勢いとして立ち現れているのである。
最後に、蛇足となってはいけないが、愛誦する一句を引用したい。
金剛(こんごう)の露(つゆ)ひとつぶや石の上 川端茅舎(ぼうしゃ)
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【七沢 嶺のプロフィール】
祖父が脚本を手掛けていた甲府放送児童劇団にて、兄・畑野慶とともに小学二年からの六年間、週末は演劇に親しむ。
地元山梨の工学部を卒業後、農業、重機操縦者、運転手、看護師、調理師、技術者と様々な仕事を経験する。
現在、neten株式会社の技術屋事務として業務を行う傍ら文学の道を志す。専攻は短詩型文学(俳句・短歌)。