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創世樹 Episode 1

執筆:ラボラトリオ研究員  畑野 慶

春泥

百花は盛りの美しさを保ち、光る風はそよそよと野山を撫でて、川のせせらぎは常に清らか。
夜は白く薄明で、日が完全に沈むことはありません。
暗闇もなければ災害もなく、暑くもなければ寒くもない、そこは常春の世。

住まう者たちは、生老病死を知りません。
悠々と、晴耕雨読の暮らしの中で、新鮮を留める作物が豊富に成り、ひもじい思いとも無縁です。

ただ、生きている限り、各々煩悶を抱えます。
取るに足らないものから深刻なものまで。
あるも嘆き、なきも嘆き、比べる不幸がなければ、得てして幸福の中から己が不幸を作り出してしまいがちです。


煩悶するほどに、その姿は悪知識を引き寄せます。
ある子宝に恵まれない一組の夫婦もそうでした。

まず、せっかちな妻が、単純明快な解決策に誘惑されたのです。
藁にも縋る思いが目を濁らせました。
善悪を見定められず、因果関係を見誤り、次第に夫も追随したことで、ふたりして迷信という思考停止に陥りました。

元来の素直さと真面目さが災いして、悪知識から教わった一見効果がありそうなことを連日繰り返し行うのですが、良薬は口に苦しとばかりに、いずれも苦痛を伴うもので、己が体を喜々として苛め抜きました。
中には、子だくさんの兎を真似て飛び回る、滑稽な反復運動までありました。


有象無象の悪知識とは、凡そ平穏に退屈を覚える者たちです。
欺いて取るようなもの、例えば金は、存在しませんから、彼らが目的とするところは、悪趣味な暇つぶしか、閃いた着想の実証実験です。

金を必要としない社会の、あまりにも平穏な、その乱れを面白がる前者とは異なり、後者の場合は、善意で迷信を勧めることがあります。
兎の真似をすれば子宝に恵まれるかもしれないなどと、本気で考えるのです。

欲目から、偶然上手く行った成功例を凝視すれば、分母の数には盲目になってしまいます。
網羅せず、都合の良い結果だけを抽出しての判断では、それもまた、悪知識なのです。


悟り

先の夫婦は、妻がひどく疲弊して寝込んだことを皮切りに自問しました。
ふたりで議論するほど疑念が募り、断ち切る勇気を求めました。
同時に、信じる教えは正しくて、己がやり方の問題ではないだろうかと、気弱な躊躇いもありました。

どうすべきかを問う相手は重要です。
迷いが深くなっては元も子もありません。夫婦はそのように考えました。
早る妻を夫がなだめました。

誰に相談すべきかを手当たり次第に聞いてみました。広く意見を集めたのです。
この時は素直さが功を奏して、すべての情報を平等に、網羅したそれを俯瞰して判断することが出来ました。

すると、話を聞くに値する尊い方が誰なのか見えてきました。
うら寂しい湖畔に居を構える、一風変わった独り身です。


短身痩躯に纏うよれよれの紙衣。
髭だらけの顔がにたっと笑うと、前歯はひどく黄ばんでいました。

片や、珍しい煉瓦造りの小さな家の中は、日の光をたっぷり取り込んで、「よう来たよう来た」と、手招きする姿にはそぐわないすっきりした空間でした。

それでも妻は半歩下がって、帰ろうと言わんばかりに、夫の背中をこっそり引っ張りました。
夫は「大丈夫ですよ」と、妻を穏やかに制して、尊い方に決めかねている悩みを重々しく吐露しました。

相槌がなく、まずは一方的に話していましたが、向かい合って座る、聞いていないような顔つきの、閉じられた目がかっと見開いた瞬間、雰囲気が一変して、「すぐに止めよ!」と、喝破されました。
緊張が走り、夫婦は見交わすこともなく、背筋を正して次の言葉を待ちました。

「そもそも子は授かるものじゃ。作るものではない。自分ではどうにもならぬのじゃ。
だが、純粋な努力は時に形を変えて、必ず何かしら報われる。今回のことも決して無駄にはならぬ」

少しの間を置いて、色を直した尊い方は、だらしなく笑い、夫婦の顔を交互に見ると、満足そうに頷きました。

そして、「お、そうじゃ」と、おもむろに立ち上がり、奥から紐で封じられた黒い箱を一つずつ、やたらと重そうに抱えて、二つ出してきました。

「お前たちに別の宝を授けよう。ここにある二つの箱、どちらか一つを選ぶが良い。何が入っているかは秘密だが、片方には、もう片方の、倍に相当する宝が入っておる」

横に並んだ二つは、どう見ても同じ大きさでした。せっかくの機会だからと、夫は妻に選ばせて、向かって右の箱に決めました。

「ほう。そちらか。受け取って開けてみよ」

紐の固い結び目を解いて、蓋を開けました。
中にはころんと、薄紅色の果実が一つだけ入っていました。
重そうに運んでいた、少なくとも片方は、演技だったのです。
夫婦は共に苦笑しました。

「では一度だけ、この箱と交換できるが、どうする?」

尊い方は、悪戯っぽく笑い、物事を明らかに見るのじゃと、付け加えて言いました。
夫婦はちらりと見交わした瞬間に、互いの胸の内を確認し合い、交換しないと決めました。

「なぜじゃ。こちらの箱の中身が気にならぬのか?」

「一つで十分です。半分ずつ分け合って頂きます。
今のままで私たちは、十分幸せだと気付きました」

「ほほう。つまらんことを言いおって」

「加えて、なぜでしょう、私たちには、その箱の中身が見えている気がします」

尊い方は、声を上げて笑い、手元にある箱をまた重そうに持ち上げると、元あった場所に戻しました。

「最後に、お前たちが受け取った物について教えよう。食うても美味いが、実は木の種じゃ。食うてはもったいない。
種と言っても土に埋めるものではなく、霧の中に投げ入れるもので、霧が深ければ深いほど、後に育つ木は太く大きくなる。そして、枝に実る深紅の果実は、宝を納める器になる。
ただし、器のままでは禁断の果実じゃ。まだ食うてはならぬ。宝を納めると光り輝く。それは国を作る元になるものじゃ」

言下、差し込む日差しが唐突に遮られました。
霞か霧か、尊い者が呼び寄せたのか。窓の外はかき曇り、遠くの山々は姿を隠していました。

夫婦は家を出ると、煙景の白い湖を眺めます。
ここで投げ入れるべきか、自宅の庭にすべきではないかと逡巡しました。
公の場所に投げ入れてしまえば、後に価値のあるものが生じても、己が所有物には出来ません。

「ここにしましょう。皆で分け合えばいいのです」

「そうしましょう。私たちもここに来ることがありますから」

夫婦は独占権を湖に放棄して、薄紅色の種は放物線を描きながら消えてゆきました。

下界

湖面上に漂う霞は、異世界への誘引でした。芽生えに至る濃度ではなかったのです。

水没した種は飲まれるように沈み続けて、やがて底なしの下、まだ天と地の距離がそう遠くない下界に、薄紅色の小さな顔を出しました。

湖水の落下は、なぜか雨を降らせる程度でしかなく、そこで待ち受けていたのは、広大な雲海。いえ、それほど深い霧です。

種は水の抵抗を失い、うねる霧の中を急速に下りながら萌芽して、瞬く間に大きくなり、すくすくと、自由奔放に根を広げました。
幹は太くまっすぐ、枝葉を窄めたまま伸びて、凄まじい勢いで天を目指していました。


楽園

かの夫婦は、不便でもふたりきりで暮らそうと、木深い秘境に移住しました。三角屋根の簡素な家を建てました。
かつて住んでいた町も、騒がしさとは無縁の、自然豊かな場所でしたが、もう何者にも惑わされたくないと、いわゆる俗世から離れたのです。

死がふたりを分かつこともなく、不変の愛を確かめ合いながら、真の幸福を探求しました。
過度な刺激を求めず、昨日の複製のような今日に、僅かな差を見つけました。
書籍はお気に入りの数冊を、座右の書として繰り返し読みました。
詩歌を作って互いに披露する楽しみもありました。

そんなふたりきりの楽園に、初めての訪問客になる尊い方が現れた時、あれからどれほどの時間が経過しているか、老けない彼らには分かりませんでした。
もとより、時間の観念がないのです。投げ入れた種が、どのように発育しているかなど、想像すら出来ませんでした。

「下界から伸びる太い幹が、ちょうど湖の中央を突き抜けて、我が家から見ても仰ぎ見る高さになると、みなもの半分ほどを覆い隠さんばかりに枝葉を広げおった。途轍もない巨木じゃ」

妻は目を輝かせて、見てみたいと言いましたが、夫は興味を示さず、続く尊い方の話も空虚な眼差しで聞いていました。

「お前さんにとっては、どうでもいい話かの?」

夫は言葉を選んで
「私にとっては、妻と、この小さな世界がすべてなのです。慎ましい暮らしの幸せを気付かせてもらえて、本当に感謝しています」
と、尊い方に頭を下げました。

「では、次に気付かねばならぬことを教えよう。それはな、自分善がりであるということじゃ。小さな世界に籠もっていてはならぬ」

「なぜでしょう?私たちは誰にも迷惑を掛けていません」

「お前たち、何の為に生きるか知っておるか?まずは足元にある、本当の幸せに気付くことやもしれぬ。
だが、その先があるのじゃ。その気付きを周囲に伝えると共に、自分の持っている力を誰かの為に発揮しなければならぬ。お前たちには、大いなる力があるのじゃぞ」

夫婦はきょとんとした顔つきで、目をしば叩きました。
自分たちの何を指してのことであるか、全く心当たりがなかったのです。

「そうか。お前たちは分かれを知らぬ。死なぬのだから無理もない。
分かれて分かることもある。
・・・よし、わしが分けてやろう。妻の方を少しの間預かるぞ」

夫婦の驚嘆と同時に、突風がその正面から吹き荒びました。
煽られて後ろによろめいた夫は、咄嗟に片手で妻の腕を掴みましたが、もう片方の、腕で防いだ目を開けると、しっかり握っていたはずの艷やかな腕は、ささくれ立った棒きれに変わっていました。

(つづく)


創世樹 Episode2 はこちらです→

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【畑野 慶  プロフィール】
祖父が脚本を手掛けていた甲府放送児童劇団にて、小学二年からの六年間、週末は演劇に親しむ。そこでの経験が、表現することの探求に発展し、言葉の美について考えるようになる。言霊学の第一人者である七沢代表との出会いは、運命的に前述の劇団を通じてのものであり、自然と代表から教えを受けるようになる。現在、neten株式会社所属。

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