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構文の五階層による言霊のデザイン vol.01

監修:大野靖志 / 執筆:寺内輝治

「祈る」と「拝む」は何が違うのか?

皆さんは、「祈る」と「拝む」の違いについて考えたことはあるでしょうか。

言霊によって自己と世界の設計(デザイン)をおこなう古来の方法が「祈り」です。
やるべきことを言葉で表明することであり、天皇からの命令を意味する「宣命」と同様のものと考えられます。

神道で奏上される大祓詞(おおはらえのことば)もこれと同じで、何かにお願いするのではなく、物事を階層化し、あるべき姿を表明する言葉といえます。

天皇がおこなう「宣命」と同じ呼称では問題なので、「命宣(いのり)」というように文字を逆にしたことから、やがて「祈り」と呼ばれるようになったのでしょう。

一方、この祈りと似て非なるものが「拝む」という言葉です。

人は何らかの対象を拝みますが、これは二次元的な行為です。なぜなら、そこには客観的な視点が含まれないからです。

この「客観視」の有無が、この2つの言葉に決定的な違いを生んでいるのです。

「構文の五階層」とは、「客観視をもたらす」という言語の本質的な性質を最大限に生かした概念であり、現代版の祈りといえます。

たとえば、感情は本来、主観的なものですが、それを実際に言葉にすることで客観視が可能になります。
感情を自己の内面から外界に取り出すことで、主観を離れた自己観察ができるからです。

構文の五階層を作成する過程では、主観からはじまって客観に向かうことになりますが、逆の視点から見ると、あらかじめ存在している「自明の理としての客観」に回帰することともいえます。

言葉は人間がつくったものですが、その背景にある生命、すなわち言霊は、自明の理としてすべてに先んじて存在しているからです。

聖書のヨハネ福音書にある「はじめに言葉ありき、言葉は神であった」という記述はそれを示したものであり、哲学の分野でいうならば、「存在するとはどういうことか」という存在論のテーマがそれにあたります。

言葉とは「存在するもの」を指し示すためのものなので、言葉に宿るものを追って階層的に客観視を進めていくと、必ず存在論に行き着くことになるのです。

逆に、存在論の階層から発した言葉でなければ、その言葉は創造意志の発現とはなりえません。ましてや、その存在論の階層から自己の主観の階層までが網羅、かつ統合されていなければ、創造意志が現象化することもないでしょう。

今回からシリーズでお伝えしていく構文の五階層は、このようなプロセスを一括して体験するための具体的な方法です。
論理的な思考にもとづいておこなうため、結果的に高い周波数で作用し、階層を超えて浸透する力をもちます。
この点で、シャーマニズムで利用されている変性意識(トランス)状態とは異なります。

次回は、白川神道の創造原理から見た構文の五階層の捉え方についてお伝えします。


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