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明け遣らぬ Episode 2

執筆:ラボラトリオ研究員  畑野 慶

東風

かくして祖先は、進化のきざはしを遠回りに、例えるなら螺旋状に上り続けました。ですが、どこまで行っても、所詮は極めて脆弱な存在です。

記憶はそのような経験を留めて、過酷な環境が喉元過ぎて忘れる間を与えず、弱いという自意識になりました。故に空威張りを生むそれが、良い方に育んだのは、思い遣りと洞察力です。

些細な周囲の変化を読み取り、適応こそが肝要だと学びながら、数多の苦難を乗り越えた、陸続きの旅路の果て・・・


かの出立から数十万年。東の突端にたどり着いた一行は、洋々たる海原を前に立ち尽くしました。異なる青が溶け合いそうで決して溶け合わない、空と海を隔てる水平線は、思い描いていたことと現実を隔てるように、くっきり横たわっていました。

そして翌朝、太陽はそこから顔を出します。赤々と、みなもに照り跳ねる光を解き放つ、未だ遠い日の出に、祖先は皆おしなべて頬を濡らしました。虚無感によるそれと、絶景に対するそれの、複雑な涙です。手をうやうやしく合わせる時間は、いつもより自然と長くなりました。


途方に暮れた為、潮騒の地に留まり、周辺を探索する生活に変わります。海産物を食すようになります。温暖で暮らしやすい場所でした。弓なりに延々と続く海岸線の、どちらかへ一途に進むことも、西へ大きく戻ることもなく・・・


後にそこは、独立した“島”になります。正確に言えば、島に戻る。それが元の姿です。南北に細長い新たな海を押し広げながら、分裂はすでに始まっていました。祖先が大陸から渡って来た道は、数万年後に途絶える陸橋だったのです。


留まれば東へ進めると、遠い子孫を見越していたかのようです。洞察力は研ぎ澄まされて、世界が回っていることに気づき始めていました。どれほど歩いても日の出との距離が縮まらず、行き詰ったことで、各々深く考えました。この大地も丸いのではないかと、やがて誰かが言葉にした時には、拙いながら虚構を語り合うまでになりました。


祖先は正しく恐れる知恵を持っていました。危険を察知してただ逃げるのではなく、それが何かを探求しました。見て触って時には舐めるのです。まだ野性的な五感を最大限使いました。さながら火を発見した偉大な足跡のように、噴火を繰り返す山にもできる限り近づき、灰や溶岩などを観察しました。

何かに惹きつけられた一部の者たちは、火山を遠景で小さく捉えられる場所に沿岸部から離れて住み着きました。そこは山深く分け入った広大な湖のほとり。湖水の透き通った藍色は、空模様を反映するだけでなく、日差しの入射角でも多彩に揺らぎました。


移り住んだ彼らが南方に見ていた火山は、噴出物を少しずつ堆積させて、後に形成される列島の最高峰になります。当時はまだ二千五百メートルほどの高さでした。


波風

降灰に備えて、鳥の飛び方で上空の風向きを予測するようになった頃、掘り返した土の中から、拳大のまん丸い石を発見します。冷たい肌触りで鈍色の、まさに完璧な球体でした。

丁寧に土を払って、顔に近づけたり雑に扱ったりせず、自然と頭より高い場所に掲げました。そして大地から昇った日を拝むかのように、手を合わせたのです。


崇高な丸石は、その後も幾つか出土しました。大きいもので頭部ほど、小さいもので親指大、色合いも様々でした。湖の周辺でしか見つからず、直感的に、探し求めてきた場所は、ここだと信じるようになります。

何世代にも渡り定住しました。小さい丸石を瞑想に用いました。当初は満月に見立てたのです。

やがてそのことを忘れた世代になると、満月の夜に瞑想をしなくなり、毎朝大勢で集まって行う習慣に変わりました。


瞑想後に加わった随一の娯楽は、昨晩見た夢や思いついた虚構などを、競うように語り合うことでした。無論事実を織り交ぜた話です。秀逸な語り手は垂涎の的になります。

すると現れたのは妬む者たちです。彼らは瞑想後にその場を離れて、虚構など無益であるとの考えを示しました。狩りで成果を挙げられない者がなぜ持て囃されるのかと憤り、時に陰口を叩きました。


虚構は欺瞞の種にもなります。顕在化して秩序を乱し始めると、瞑想後の語り合いは年長者の判断で禁じられました。言葉の壁に突き当り、優れた道徳的な虚構を生み出せず、拙いそれでは欺瞞を嗜めるに至らなかったのです。

面白味のない事実が貴ばれて、露骨な虚構を口にすることは堕落の象徴になり、偏見によって忌み嫌われました。栄光を過去の汚点に追いやられた語り手は、鬱屈した思いを抱えます。影で語られる物語は、暗い内容が多くなりました。


そんな中、生きる上で虚構は不可欠だと気づく者が現れます。普段物静かな少年の、若い感性でした。

まず、明日も虚構ではないかと考えました。あるかないか分からない明日を、あると信じて皆語っているのです。ないと思って生きている者はいませんでした。信じて語ったことが現実化していました。

逆に、例えば約束を反故にされて、憤慨する者もいます。誰かを信じることも虚構ではないかと、少年は自分の考えを純粋に打ち明けました。理解を得られませんでした。親からも、おかしな子と見なされました。


ある時、彼は血相を変えて異様な出来事を語ります。自分たちに似た姿の、とはいえ別種の者が、湖の中から直立で浮かび上がって、みなもの上を沈まずに歩いていた、と言うのです。

ついに自ら虚構を語り始めたかと、周囲が叱りつけても、確かな事実だと主張して、その時の様子をたどたどしく説明しましました。聞く者は夢でも見たのだろうと、呆れるか憐れむかで、誰も信用しませんでした。


少年の目撃談は、今日も遠目に見たなどと、日を追うごとに続きが加わりました。彼以外に見た者はなく、言うほどに孤立して、口を噤まざるを得なくなります。二足歩行の、あまつさえ進化した、水上を歩ける別種というのは、自分たちの危急存亡になり得る、受け入れがたい話でもありました。

寡黙に戻った少年は、上手く言葉にできない苛立ちを感じながら、自分で真実を掴もうと決意しました。


潜水

決行は晴天の蒸し暑い日でした。満々と水を湛えたその中に、少年はついぞ経験のない深さまで潜ったのです。藍色に包まれて目を凝らしても、手がかりを垣間見ることはできず、暗い湖底との距離に比して、考えが浅はかだったとすぐに知らされます。

そして戻ろうと、水に揺らぐ白い太陽を見上げた瞬間、何者かに足首を掴まれて、強い力で下へ引き込まれました。抗う間もなく加速度を増しながら下るうちに、突として天地が逆さまになり、一瞬目にした小さな赤い光から遠ざかりました。

今度は水上に向かっているはずが、それらしき明るさを感じられず、現れた渦巻く奔流にぐるぐると四方を囲まれて、その筒状の細長い狭間にまばゆい氣の柱が立ちました。湖に氣が立ったのです。思わず目をふせると、どこかへ引き込む手がぱっと離れて、呼吸ができると分かり、大きく息を吐きました。

辺りがまた暗くなったそこは、水中というより夜空でした。遠い別世界の、星屑の中を浮遊しているような感覚になり、心地好く、猛烈な眠気に襲われて、ふっと意識を失いました。

(つづく)

← 明け遣らぬ Episode1はこちら

明け遣らぬ Episode 3はこちら→


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【畑野 慶 プロフィール】
祖父が脚本を手掛けていた甲府放送児童劇団にて、小学二年からの六年間、週末は演劇に親しむ。そこでの経験が、表現することの探求に発展し、言葉の美について考えるようになる。言霊学の第一人者である七沢代表との出会いは、運命的に前述の劇団を通じてのものであり、自然と代表から教えを受けるようになる。現在、neten株式会社所属。

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