
隕鉄刀の美を神器の高みへ! 稀代の刀匠が語る日本刀の神髄 【後編】
こんにちは。
Parole編集部です。
一昨日お届けした前編では、稀代の刀匠・伊藤重光氏が日本刀の製作にかける思いをお伝えしました。一切妥協することなく、ひたすら本物づくりに命を費やしてきた伊藤刀匠の在りかたは、普段、日本刀と直接関わることのない大多数の日本人と深く共鳴するように感じられます。
すでにお伝えしたように、伊藤刀匠の初の著書『刀匠 伊藤重光の世界〜隕鉄刀 《meteo gladio》の名手 その技と極意〜』(仮題)の出版されます。そのなかで元横綱・稀勢の里関(現・荒磯親方)との対談記事が企画されました。
伊藤刀匠と荒磯親方との出会いは3年ほど前に遡ります。荒磯親方は力士としての現役時代、久しぶりに実現した日本人横綱として日本中から喝采を浴びた近年の相撲界を代表する力士であることはみなさんもよくご存知だと思います。
その横綱・稀勢の里関が、神社奉納の土俵入りのときに携える太刀を製作したのが伊藤刀匠だったのです(太刀は2018年に完成し、一般社団法人 白川学館が稀勢の里関に寄贈)。
こちらの秘蔵VTRでその製作工程をご覧いただけます。
■稀勢の里が槌入れの日に初めて伊藤刀工の工房を訪れる
秘蔵VTR 『横綱太刀物語』 第1部【無料公開中】
■焼き入れを経て、太刀として形づくられていく隕鉄刀
秘蔵VTR 『横綱太刀物語』 第2部【無料公開中】
■2018年3月3日に、大阪・摂津国の一宮の住吉大社で土俵入りを果たす横綱・稀勢の里関(右後ろに伊藤刀匠が製作した隕鉄製の太刀を右手に横綱を守護する太刀持ちの松鳳山の姿が見えます)
秘蔵VTR 『横綱太刀物語』 第3部(最終章)【無料公開中】
それぞれの道を極めたお二人の間には、多くを語らずとも人生観が重なるところが多々あるようで、今回の対談ではその思いが力強い言葉となって表れています。以下に一部を抜粋してご紹介させていただきますので、対談当日の雰囲気をぜひ感じてください。(『 』内は対談記事中の見出しです)
1.
お二人の話は、まず刀の世界にも相撲の世界にも通ずる「修行」の話題から。刀の世界なら名人、相撲の世界なら横綱と呼ばれるようなるまでにはどんな修行の道があったのでしょうか‥‥‥
『後で知った「炭切り三年」の修行の意味』
『自分が納得していないものでは人を満足させられない』より抜粋
【伊藤刀匠】
僕が修行に入ったときには「炭切り3年」といわれていたんです。朝から晩までちょうどいい大きさに炭を切るだけの仕事が3年間続くんですよ。「こんなことやって何になるんだろう?」って最初は思っていたんですけれども、あとになってその意味がよくわかるようになったんですね。
「ただひたすら炭切りをしている」とそのうち、自分の気持ちが自然に無になるというのか、そういう境地に入っていけるようになるというんでしょうかね。そういうふうに無我の境地にすっと入っていけるような、気持ちの切り替えを体に身につけて鍛冶仕事に入ると、自然に体が動くんです。頭で考えて動くんじゃなくて、必要な時に必要な体の動きがすっとできる。たとえば、さっきお話ししたような、「ふっと抜ける」感触を手で感じたときにすっと動けるようになるんです。
そういうことを体で知って、「ああ、炭切り三年というのはこういうことだったんだ」と思いましたね。
【荒磯親方】
そうですね。自分の場合ですけど、相撲の世界に入った頃は最初、四股を踏むとか、ものすごく嫌だったんですけれども、それが大関になって星が安定してきた頃には逆にすごく楽しくなってきたんです。「四股を踏みたいから早く土俵に上がりたい」と思うようになって。それからまもなくでしたね、横綱に上がったのは。
【伊藤刀匠】
やっぱりそれが基盤なんですね。
【荒磯親方】
あれだけ嫌いだったものが、やめ際にはもう大好きになってましたから。
【伊藤刀匠】
僕もそうです。炭切りをやっていたときも「なんでこんなことをやらなきゃいけないの」って思っているうちはダメですね。
【荒磯親方】
でも思っちゃうんですよね、最初の方は。
【伊藤刀匠】
転機みたいなものがあったんですか?
【荒磯親方】
やっぱり「それをやると自分のものになる」ということがわかる瞬間があるんですよね。それが「自分のものだと!」思ったときには、もうやめられなくなるというか‥‥‥
【伊藤刀匠】
そうですね。
【荒磯親方】
そこまでくると、相撲をとるのが楽しくなってくるんですよ。自分の中では、大相撲の力士というのはプロなので楽しんでやるというのは観ている人に失礼だと思って「楽しむ」という言葉は出さなかったですけれど、でも、感覚としては楽しかったですね。
【伊藤刀匠】
ものを作る方も基本はそうですよ。自分が納得というか満足していないと、人を満足させられない。やっぱり自分が楽しくなければ、人も見て楽しくない。同じですよ。ものづくりもそうです。自分が「こんなもの」と思うものを人に渡すわけにはいかないから、やっぱり自分が納得したものをお客さんに渡すというのがものすごく原点だと思います。
2.
期待されながらも雌伏のときも長かった稀勢の里関が、ある時を境に急激にその実力を発揮したことについて、伊藤刀匠が鋭く切り込みます。
『自分が納得していないものでは人を満足させられない』より抜粋
【伊藤刀匠】
転機みたいなものがあったんですか?
【荒磯親方】
やっぱり「それをやると自分のものになる」ということがわかる瞬間があるんですよね。それが「自分のものだと!」思ったときには、もうやめられなくなるというか‥‥
【伊藤刀匠】
そうですね。
【荒磯親方】
そこまでくると、相撲をとるのが楽しくなってくるんですよ。自分の中では、大相撲の力士というのはプロなので楽しんでやるというのは観ている人に失礼だと思って「楽しむ」という言葉は出さなかったですけれど、でも、感覚としては楽しかったですね。
【伊藤刀匠】
ものを作る方も基本はそうですよ。自分が納得というか満足していないと、人を満足させられない。やっぱり自分が楽しくなければ、人も見て楽しくない。同じですよ。ものづくりもそうです。自分が「こんなもの」と思うものを人に渡すわけにはいかないから、やっぱり自分が納得したものをお客さんに渡すというのがものすごく原点だと思います。
【荒磯親方】
それはありますね。若いときは嫌なことの方が多かったんですけれど、でもよく考えてみると、自分の好きなことをやって飯を食えているので、こんなに幸せなことはないな、と。それさえも忘れてしまうことが若い時はあったんですけど、最終的にはそれが楽しいなと思えるほどまでになりました。
3.
これぞ知る人ぞ知る秘話かもしれません。荒磯親方が「なぜ稀勢の里は変われたのか?」その心境の変化の理由ついて明かします‥‥
『七沢先生の『和の成功法則』と出会って1年後に‥‥』より抜粋
【伊藤刀匠】
相撲は勝負の世界でもありますから、苦しいことや悔しいこともあったんでしょうね。
【荒磯親方】
いやあ、もう、99%悔しさしかないですよ。でもその残りの1%ですべてが報われましたよね。優勝して横綱に上がったということで――もし、あれがなかったら苦しい相撲人生だったと思いますけれど。優勝して横綱に上がったということ、そのおかげで最高の現役時代だったと思えるようになりましたし、そのおかげで現役を終われたかな、と思うくらいのことでした。
【伊藤刀匠】
結果を残すというのがやはり、重要ですよね。
そのおかげで横綱に上がる前の苦しい時期を抜けられた‥‥‥
【荒磯親方】
あの時期を抜けられたのは、いわゆる〝メンタル改革〟のおかげだったんですよ、完全に。「よし、もう横綱に上がろう!」とあるとき決意したら、そうしたら1年後でしたね。気づいたら横綱に上がっていた、そんな感じでした。今思えば、大関になっても最初はそんなに強く「横綱に上がろう」とは思ってなかったのかもしれないですね。そういう気持ちをすべて変えて臨むようになったから変われた――そう思います。
自分の自伝にもいろいろ書いたんですけど、七沢先生の『和の成功法則』という本を読んだことは大きかったですね。やっぱり何にしても「無」にならなきゃいけない。それまで自分はいいことばかり追いかけていたんですけど、そのこともやっぱり実はゴミ、いらないものだったんだ、というようなことにも気づかされました。
「いいことをもう一回やろう」とすること自体がものすごくストレスになる、ということがわかったんですよね。土俵に上がって「この前よかったから、あのままやろう」と思うこと、それが結構ストレスになっているんだと気づかされたというか。
それまでは「よかったこと」を追いかけることはいいことだと思ってましたから、そのために自分に掴めないものがあるというふうにも思えなかったですし、それで結局自分の居場所がわからなくなってしまったんだと思います。
4.
万物流転。どんな時代も刻々と変化する、という誰もが避けて通れないこの世界の真実、時の流れをどう受け止め、どのように新しい世界を切り開いていくべきなのか? 話題は刀づくりと大相撲の世界で最高峰を経験したお二人の人生哲学のエッセンスへと‥‥
『時代は変わる。子供達も変わる。ならば「育てる」も‥‥』より抜粋
【伊藤刀匠】
伝える、教えるといっても、僕は直接の弟子はとっていないので親方とは少し違う立場にありますが、親方には「後進を育てる」という大事な役目がありますね。
【荒磯親方】
そうですね。自分ができなかったことをこれからの人たちにやれるように伝えていくというのが、今の仕事だと思っていますし、独立して部屋をもつという目標もありますが、まずはここで自分より強い横綱を育てるというのが、大きな目標ですね。
【伊藤刀匠】
人を育てる。言葉にすれば一言で済みますが、すごく大変なことですよね。刀の世界でも人を育てる難しさのことはいろんなところからよく聞きますから。
【荒磯親方】
そうですね。あんまり手間をかけすぎても期待に応えられないですし、あんまり放っておいてもダメだし、そこの絶妙な具合というのを、これからずっと勉強が続くのかな、と思うくらいですね。土俵に自分は上がらなくなっても、まだまだ勉強だなという気持ちは自分の中にありますね。
【伊藤刀匠】
今という時代のこともありますね。今は我々が修行した時代と違うから、そういう意味での難しさもありますね。
我々が修行した時代は、金槌は飛んでくる、火かき棒で足は引っかけられる、焼けた鉄は飛んでくる(笑) 今そんなことしたら親御さんが黙っていないですよ。パワハラだ、って言ってね。
だから、こういう時代に、技術を叩き込むというか、ものづくりの厳しさを体で覚えてもらう、というのはやはり難しいところがあるんじゃないでしょうか。
【荒磯親方】
ありますね、そういうところは。若い頃は自分も何万発殴られたかわからないですから(笑)
ただ、最近はこういうふうにも思うんですよ。昔の教え方というのは手っ取り早いんですけれども、逆に、教える指導者としてはすごく楽だと思うんですよね、早いから。
でも、今後それができなくなってくるのであれば、本当に時間をかけて、指導をやっていかないといけない。それはものすごく難しいことなんですが、今後は昔以上に指導者として問われるところだと思いますし、自分もそういう場所でちゃんと結果を出して、評価されるようにやっていこうと。
相撲界には、昔から続いてきた伝統といわれるもの、基本といわれるものものがあるんですけれども、その基本も人によっては体に合わないこともあるんです。十人十色というように、やっぱり、足も長けりゃ手が短いのもいるし、それを全員一緒にさせてしまうというのは、一人の人材を潰すようなものだと思うんですよ。押しつけすぎるのはどうか。伝統、基本が体に合っていない人たちがたくさんいると思うんです。
ですからそこを見抜くということも、自分の仕事だと思いますし、その人の一番強い個性を生かせるような指導法というか、そういうことをしていきたいなと思っています。
いかがでしょうか。
一部の抜粋になりますが、互いにまったく異なる道を歩まれたお二人ですが、その道を極め、高みに至ったからこそ投げ合える言葉が散りばめられています。
本書はこのような対談記事をはじめとして、以下のような大変貴重な内容を盛り込んだ書籍となります。
■伊藤刀匠の作品から選ばれた代表作(25作予定)の写真と本人による解説
■隕鉄刀ができるまでのドキュメント~鉄づくり、鍛錬、焼き入れ、銘切り、研ぎ、拵えづくりに至るすべての工程(初公開の写真多数)
■刀剣職人たちとの鼎談(伊勢神宮での修復事業や国立博物館の修復事業にも携わる彫金師の泉氏、刀剣界の重鎮として活躍した尊父から極意を受け継いだ研ぎ師池田氏と)
■伊藤刀匠「現代最高の冶金研究者」と評価する七沢賢治氏(宗教学研究者 白川学館代表理事)の寄稿
など
来年3月に発売が予定されていますので、詳細が決まり次第、本誌でもご案内させていただきます。
なお、こちらの記事も伊藤刀匠の刀剣の製作に関わる記事をご覧いただけますので、ぜひお楽しみください。
【関連記事】
隕鉄がもたらす覇権伝説
考察 「なぜ先生は剣を何振りも作るのか?」(その1)
考察 「なぜ先生は剣を何振りも作るのか?」(その2)
考察 「なぜ先生は剣を何振りも作るのか?」(その3)
考察 「なぜ先生は剣を何振りも作るのか?」(その4)
考察 「なぜ先生は剣を何振りも作るのか?」(その5)