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創世樹 Episode 4

執筆:ラボラトリオ研究員  畑野 慶


黄昏

悲嘆に暮れて、来た道を戻り始めて、このような姿では夫に会えないと思いましたが、道の真ん中で言い争う者たちに遭遇しました。

遠くから女の叫び声が聞こえました。
己が身勝手で挫折してしまえば、世界は混乱を深めるばかりです。

再び前を向きました。扇子で顔を隠して会うことにしました。
国産みを成し遂げれば、元の姿に戻れると信じました。

三度目の終点から漏れる灯り。
湖との間で座り込む夫を遠くから見て、顔の前で扇子を開きました。
容姿を誤魔化しやすい黄昏の空気に背中を押されました。

立ち上がった夫は、笑みを溢して、首を傾げて、そして扇子を開きました。真似て顔を隠してくれたのです。
優しさか、そうすべきだと理解したのか、理由は分かりませんでしたが、夫の振る舞いに助けられて、自然と背中合わせに立ちました。

見て合わせようとするから合わない、という考えもありました。
一呼吸置くことを意識して、いざ!という無音の声を聞き取りました。夫に合わせて蓋を開けたのです。

結果は同じ、またもや白い煙でした。


父韻と母音

妻は目覚めると、窓の外を見やりました。
明るさが乏しく、遠くの山々は群青に沈んでいました。
側で夫が寝息を立てていて、尊い方の姿はなく、窓辺の花もありませんでした。

携えていた小箱と扇子、そして深紅の果実もなくなっていて、身一つ、という状態でした。
己が手をしげしげと見て、泣き出しそうになったのは、若さを取り戻していなかったからです。

これまでの振り出しとは異なる為、ついに成功したのだろうと、もういなくなっても支障ないだろうと、このまま立ち去ろうと思いました。横向きで眠る夫の顔を最後に一目・・・

覗き込んだ時、同じように老けていると分かりました。
驚いた後も、夫を愛する思いは変わらず、それでも彼の思いが変わってしまうことを恐れて、玄関の扉に手を掛けました。

「どこへゆくのですか?」

夫の声でした。
びくっと反応した体から力が抜けて、扉の前で俯きました。
小さく発声を試みると、喉に異物があるように感じましたが、その呟きは己が耳に届きました。

「私を置いてゆくのですか?」

夫に背を向けたまま、涙をこらえて天井を仰ぎ、「もう私は私ではありません。あなたに合わせる顔がないです」と、はっきり声に出しました。

「何か罪を犯したのですか?」

「多くの方々に助けられて、恩も返せずここまで来ました」

「それは私も同じです。そして、あなたも誰かに手を差し伸べたはずです。世界の混乱を収めようと、何度もここまで挑戦してきたはずです。自分自身を正しく見てください」

「私は鏡を見ました。みなもに映る、私を見たのです」

そう言って泣き崩れた、か細い体を、夫に抱き起されました。
互いに変わり果てた顔で向かい合いました。

「私があなたを映す鏡です。何か変わったところはありますか?」

屈託のない笑みを前にして、首を横に振りました。満面の笑みで応えました。


手を取り合い、夫の先導で外に出ると、薄明の中、湖面上に実るまん丸い果実が、木垂る先から樹頭まで、一斉に紅い光を放っていました。
その後方に見える山の端は、ぼんやりと紫色に光っていました。

ふたりの他は深く眠っているのか、辺りはしんと誰の姿もなく、みぎわに近付くと、巨木まで続く細い道が見えました。
風に揺れる湖面の、その一筋だけがまっ平に凪いでいたのです。

歩ける気がした通りに、ふたりで水鏡の橋を渡りました。
聳え立つ壁のような、太い幹の周りには、木の葉が螺旋状に浮かんで、きざはしを作っていました。
誘われるままに、上へ上へと歩を進めて、壮大な樹冠の中で腰を掛けました。

国について語り合う、そこからは世界を見渡せました。
透けて見える緑の遥か彼方。取り囲む水鏡に映る下界の様子。

あるべき世界を言葉に乗せました。言葉が希望になりました。
すると、目の前に落ちてきたのは紅い光です。
とっさに掴み取った瞬間、鈴の音がしたそれを、ふたりで耳に当てました。


心の締まり

光る深紅の果実には、珠玉の言葉が収められていました。
樹冠の中で産み出される、新たな言葉をも呼び入れて、蓄積されたその重みは、枝から離れる起点になりました。

次々に着水しても沈まず、光を灯したまま湖を漂って、しかるべき者の手に届きました。

選ばれた彼らは、飲み込む必要と相応の苦しみがあることを果実から聞き取りました。喉が焼けるような苦しみは、楽して得られる宝ではないという、教訓を授けるものです。
誰にも届かない幾つかは、岸辺に寄らず、巨木の周りを漂っていました。

やがて、巨木は役割を終えたように萎み始めました。
ざわざわと葉音を立てながら、わずか三日三晩で、樹頭が湖面の下へ消え去る瞬間、湖畔から見送る者たちの中に、世界の混乱を静めた国産みの英雄として、かの夫婦の姿もありました。


ふたりは後日、またも湖面上に誘い出されました。
みぎわに立つと、対岸までの架け橋が、落ち葉を払い除けながらまっすぐ伸びたのです。

橋の下には、沈んだ巨木が青々と鎮座して、橋の中程では、その一枝が突き出ているように見えましたが、梢にしては木肌がつるりとしていて、手に取って引っ張ると、容易く水中から抜けました。

現れたのは矛。背丈ほどある長い柄の先に、炯々たる諸刃が付いていました。小さく武者震いするそれ自体に導かれて、高く掲げた切っ先をくるりと回しました。

橋の両脇に浮かぶ周囲の落ち葉が巻き上がりました。
そこだけ橋の幅が丸く広がり、映し出された下界の様子は、あるべき姿にまだ遠く、荒涼としていました。

手を加える必要に迫られたふたりは、どうせならば、国を中心に据えて、広大無辺な世界を作り出そうと考えました。天と地で完結しない、宇宙という発想です。

下界に向かって語り掛けながら、矛で水中をかき回すと、その中心に渦が生じて、大きさを増してゆきました。

岸辺へ走り出したふたりの背後では、橋が途絶えて崩れ落ちました。
湖面の浮遊物が水中に飲まれてゆく内の、複数の紅い光だけは、渦の外周を回り続けていました。
巨木は下へ引き込む力に誘発されて、座する腰を上げました。

下界では、巨木が天を支えるように樹冠を広げていました。
上の湖に突き出していた実を付ける部分は、大きさからすると、枝葉に過ぎませんでしたが、それこそが芯、言い換えれば核で、下界まで降りて来ると、巨木全体が上から萎み始めました。

末広がりの幹の下には、小さな島が形作られて、砂礫の平地でした。
海原と分かれたそれは、巨木の根が元になり、国産みの心根を表すもの。深い霧は払われて、天と地の距離は開き始めて、珠玉の言葉が下界を動かしていました。

巨木は幹を四方に押し広げながら、更に低く、小さくなってゆき、ぽつんと立つ平凡な姿になった時には、山のような地形に囲まれていました。

しばらくすると、天から大瀑布が打ち付けます。
水煙と雷鳴のような瀑声を上げて、みるみるうちに水が溜まり、そこは湖の底になりましたが、決して倒れない先の巨木は、閉ざされた暗闇の中で、まだ紅い光を枝に付けていました。


星産み

天と地の距離が定まった下界は、ひどく横長に膨張して、島を大陸へと変貌させながら、少しずつ下方に曲がってゆきました。

次第にゆるやかな丸みを帯びて、全方位の端と端が一つに繋がり、巨大な青い球体になると、かの矛が振り下ろされて、上の世界から切り離されました。

そして、言葉によって産み出された宇宙の、旋回する流れに乗りました。

その中心には、複数の膨張する紅い光の衝突、結びがありました。

一つになって強烈な光を放ちました。

恩恵に授かった青い球体では、新たな生命が芽生えて、最初の春を迎えました。


・・・・・・・・・・

【畑野 慶 プロフィール】

祖父が脚本を手掛けていた甲府放送児童劇団にて、小学二年からの六年間、週末は演劇に親しむ。そこでの経験が、表現することの探求に発展し、言葉の美について考えるようになる。言霊学の第一人者である七沢代表との出会いは、運命的に前述の劇団を通じてのものであり、自然と代表から教えを受けるようになる。現在、neten株式会社所属。

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