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花の神性

執筆:ラボラトリオ研究員  七沢 嶺


山梨県甲府市に、とある歯科医院がある。その入り口には花壇があり、豪華ではないが可憐な日々草が咲いている。

院内には、淡い花弁の描かれた絵画がある。治療用の電動椅子に座れば、天井にも花がある。それは人工的な貼りものだが、不思議と不安を取り除いてくれる。それらの淡く綺麗な印象にゆっくりと浸透するように、気品あるオルゴールサウンドが流れている。

歯科医院の院長は華道に造詣が深い。医院のみならず、家の玄関にある花を毎朝手入れしている。院長の娘である副院長も、その意志を受け継ぎ、様々な花を生けている。院長らが手を入れた花は、野に咲く花とはまた異なる美しさを放っているのである。

冬は花の咲く季節ではないが、人のこころには春夏秋冬いつでも咲き得るだろうか。花は生物学的な存在としてだけではなく、目に見えない力を有した特別な象徴ではないだろうか。

俳句等の短詩形文学においては季語として熟成され、その歴史的背景より本義を語られている。今回、古事記と専門家の仮説を引用し、花とりわけ桜についてご紹介したい。

万葉集においては、花といえば梅のことであった。その後、古今和歌集より梅ではなく桜のことを指すようになってきた。その根拠は学問的に複数あると思うが、私の知る限りでは、梅や桜を詠まれた歌数の比率である。

万葉集では梅の歌は多いが、古今和歌集より桜のほうが圧倒的に多くなるのである。そして、現代の短詩形文学においては、花といえば古今和歌集時代と変わらず桜のことを指す見解が一般的である。

古事記によると、天孫邇邇芸能命(ニニギノミコト)が国つ神大山津見神(オオヤマツミノカミ)の娘、木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤビメ)に求婚する場面がある。父である大山津見神は合意し、木花之佐久夜毘売の姉である石長比売(イワナガヒメ)と共に邇邇芸能命のもとへ行かせたのである。

しかし、石長比売の容姿が気に入らなかったのか、木花之佐久夜毘売のみと契り、姉である石長比売を帰してしまったのである。そのことにより、邇邇芸能命は定命の者となったと言い伝えられている。

古典研究の専門家である中西進氏、三浦佑之氏、宮坂静生氏らによると、木花之佐久夜毘売は桜の化身であるという。邇邇芸能命は桜である木花之佐久夜毘売のみと契りを結んだため、寿命は桜のように栄えるが、儚く散ってしまうのである。もし、石長比売も一緒であれば、寿命は巌のように永遠に変わらなかったのである。

白川静氏の「字訓」によると、桜の語源は二説ある。ひとつは、「咲く」に接尾語「ら」が付いたものという。もう一説は、「さ」は農耕に関する語であり、「さ座(くら)」であるという。

三浦佑之氏は前者を支持しており、「咲く」は「先(サキ)」「坂(サカ)」と同じであり、「枝の先の、神が寄りつきその霊力が最高に発動している状態(三浦佑之著「神話と桜」)」という。

和歌森太郎氏は後者であり、「桜は稲穀の神霊の依る花(和歌森太郎著「花と日本人」)であり、桜の『さ』は五月・早苗・早乙女、稲田の神霊のことであり、『くら』は磐座(いわくら)、高御座(たかみくら)のことである」という。折口信夫氏、桜井満氏等の民俗学者らも支持している。

桜の語源に関し、二説とも桜が春に咲く花としてさきがけの季節の霊威が宿り、それが最高に発揚される花と認めている。桜が咲く明るさと桜が散る暗さとは生の繁栄と死の深淵を暗示する。
(宮坂静生著「季語の誕生」)

花、桜という言葉の考察により、我々が花と相対したときに湧き起こる心の源について考える端緒となっただろうか。

花に限らず自然と接したときの心の動きは、言霊の込められた生きた言葉が「結び」となっているのではないかと思えてくる。人と花の関係性は、言葉により結ばれ、そこに神という統べる力が宿るのではないだろうか。

言霊の失われた形骸化した言葉ではなく、生きた言葉を詠むことができるよう精進していく思いである。


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【七沢 嶺 プロフィール】
祖父が脚本を手掛けていた甲府放送児童劇団にて、兄・畑野慶とともに小学二年からの六年間、週末は演劇に親しむ。
地元山梨の工学部を卒業後、農業、重機操縦者、運転手、看護師、調理師、技術者と様々な仕事を経験する。
現在、neten株式会社の技術屋事務として業務を行う傍ら文学の道を志す。専攻は短詩型文学(俳句・短歌)。

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